西洋のドラゴンとなると、一転してかなり邪悪なイメージになります。
ヨーロッパ各地の神話や伝承では、多くの場合ドラゴンは英雄、勇者に退治される存在です。
特にキリスト教が広まってからは、ドラゴン=悪とみなす傾向はいっそう顕著でした。
「七つの大罪」を描く宗教画では、ドラゴンは「憤怒」を象徴するものとして描かれます。
『ヨハネの黙示録』ではドラゴンが「黙示録の獣」のひとつとして登場します。大天使ミカエルが天上でドラゴンと戦い、地上に投げ落としています。
ドラゴンは「年老いた蛇・悪魔・サタン・全人類を惑わす者」とされ、「反キリスト」の象徴とされます。
また、悪の象徴であるドラゴンを倒すということは、カオス(混沌)をコスモス(秩序)に転換する宇宙論的ドラマを象徴すると言われます。
他方、ドラゴンを倒し、その身体の一部を取り込むことによってマジカルなパワーを得られたという伝承もあります。
北欧神話に登場する英雄シグルスは、小人のレギンから、父の遺産をレギンの兄、ファフニールが独占しているとそそのかされ、ファフニールを襲います。
小人だったファフニールはドラゴンに変身してシグルスに対抗しますが、シグルスは魔剣グラムをふるってファフニールを仕留めました。
シグルスはこの勝利で「アンドヴァリの腕輪」という財を増やす魔法の腕輪や、ファフニールがたくわえた財物を得ます。
さらには、ファフニールの血をなめたことで鳥の言葉がわかるようになり、その心臓を口にすることで誰よりも賢くなったということです。
『ニーベルンゲンの歌』に登場するジークフリートもドラゴン退治を行っています。
その際、ドラゴンの返り血を全身に浴び、その魔力により身体が鋼鉄のように硬くなり、いかなる武器も通用しない不死身の身体になったと、
登場人物のひとりが証言しています。
ただ、ジークフリートが返り血を浴びたとき、たまたま肩のあたりに菩提樹の葉が張り付いていて、そこだけ血がかからなかったため、
そこが唯一の弱点になりました。
実際に、ジークフリートはのちにその部分に傷を負い、落命しています。
こうした伝承から、ドラゴンは「財力」、「知的能力」、「不死身」といった能力を獲得するために「克服すべき障害」を象徴していると
とらえることができるでしょう。
こう考えると、みずからがドラゴンそのものになるわけではないのですが、中国の「登龍門」の龍と一脈通じるものがあるともいえそうです。